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2006年2月

湖月わたるさん

宝塚のトップ、湖月わたるさんが、秋をもって引退するという記事が載っていた。

ちょっとした縁もあって、ここ数年応援させていただいているのだが、本当にお疲れさまでしたという気持ちでいっぱいだ。

彼女は、中学を卒業してすぐ親元を離れ、音楽学校に入り(今の時代は珍しいそうだ)、トップになったのは遅咲きだったけど、その分だけすごく謙虚で宝塚のことを考えてその重責を担ってきた。

私は彼女は退団したら、女優さんか歌手になるのかな~って密かに思っていたのだが、その新聞記事には、なんと…これから大学を目指すと書いてあった。宝塚のトップという何にも代え難い勲章があるのにもかかわらず、また1から出直すというのだろうか。

本当に頭が下がる思いだ。いつも彼女の生き方には謙虚さが表れる。その道のトップの人というのは、やっぱり何にも一流なのだと思った。

どうぞ体に気をつけられ、残りの舞台を悔いのないようつとめられてください。

同じ世代の女性として、心から応援しています。

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静かな土曜日

仕事を午前中で終え、まったり家で過ごす静かな土曜日。昨日までの悪天候が今日はなんとか復活し、気持ちのよい午後。ちまちま月曜締め切りのレポートをまとめている。

運動会で晴れた空と一緒に早起きする子どものように、夫はゴルフに勇んで出かけていったし。

鶏より先に布団から出て、その姿は東京プリン「ゴルフ道」そのもの(- -;)(あの唄は本当にスゴイ。)

私はというと、最近は家の中の「アイビー」が増えることに喜びを感じているのだ。ちっちゃい葉っぱが茎の間から見えてくると、すっごく嬉しい。

200602251631000_1 今はトイレとお風呂場とリビングに少しずつ浮かべているが、そのうち、グングン伸びていろんな所に飾りたいな~。

というわけで、なんだかほんわりしている土曜日です。

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記念講演

退職される先生の記念講演があった。私の専攻とは厳密な専門領域は異なっているが、先生の深さに改めて触れることのできた、学びと感動をおぼえた講演だった。

専門職とは何なのか、先生は何度も問われていた。それはまさしく自分の中での常なる問いそのもの。

専門職である自分に対して、存在証明ができるか。それは哲学を持たなければできないと思う。哲学は、いったん自分を疑いその不信を超えた先にあらわれるもの。今の自分に満足していては、自己の存在価値を証明する必要もないし、プライドも持てないだろう。

そういう意味では、保健師という国家資格は今危うい時代を迎えているが、逆に今だからこそ存在を自己証明する時なんだと思う。「健康」という概念のその先に、私たちは何を見出すのか。長期的視点をどこに置き、何を統合していけばよいのか。今だからこそ、自らがそれを明らかにし、哲学を創りあげる時なんだと思う。

先生の領域は異なるけれど、私なりに先生のお話をそう解釈しながら、拝聴した。

先生はまた別の学校で教鞭を取るのだそうだ。こうやって、これまでも多くの学生のひとりひとりの心に大きな命題を刻み続けてきたのだと思う。そういう意味で、教育の持つ力の凄さを改めて感じた。

先生、本当にありがとうございました。どうぞこれからもお元気で!

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気分のよい朝

お天気は曇りでも、だんだん空気があったかくなってきた。

ずいぶん体が楽な感じで、朝起きるのもそんなに苦じゃなくなってきた。

お正月明けから、朝のテレビをやめた。年末年始、あまりに堕落なテレビ漬けの生活を送り、もう、頭が飽和状態だと思って。

目から入る情報というのは、質はともかく、改めてすごい量なんだと思う。

テレビの情報がなくなってから、疲れが少なくなってきたのは気のせいじゃないだろう。

それだけ、テレビの情報を受け取るために、脳や目や耳や、色々な器官をフル活動させるらしい。

授業でも言っていたな。目や頭で使う酸素量ってすごく多いんだって。

朝から植木に水をやったりコーヒーを煎れたり、新聞も以前より集中して読むようになったし、ずっと聴きたかった音楽も聴くことができ、少しだけ生活に余裕が出来た気分。

まぁいつまで続くかわからないけど、あまり気負わずに楽しむとします。

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みんな悩んでいる

大学院の1年はほんとに早い。

あれほど、毎日の授業をとることでみんなで精一杯だったのに、気がつけば学校には週に1、2度行く程度になる。もちろんそれほど頻繁に教授に会えるわけでもなく、院生同士の中でも顔を合わせる人が限定されてきて、結構孤独な戦いになる。

だから、ちょっとした思い込みやいき違いも、なかなかお互い修正できないまま、時間が過ぎていくことがあるかもしれない。

きっと、昼間の大学院はこんなことはないのだろう。先生の研究室なるところに、毎日誰かがいて、何かを一緒にやったり、お茶を飲んだり、よくわからないけど、そんな感じなのかなぁと思う。

そんな時、研究や自分自身を突きつけられる。あと1年しかない現実を直視せざるおえなくなり、不安な気持ちが湧き上がってくる。

きっと、これからが本番なんだね。

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同じ日に

夕刊に、幼稚園児のお母さんが、車に乗せていた同級生の園児を刺殺したという記事が載っていた。

久しぶりにつけたテレビでは、難病を持つ子どもたちと家族の紹介を特集でやっていた。

自分を含めてどちらの家族とも同世代なこともあり、なんだかすごく心に響いた。

そのお母さんがきれてしまって子どもに刃物を突きつけたその気持ち、

その家族が全力で難病を持つ子どもたちに向き合っている気持ち、

言うまでもなく、どちらも人間の持つ心。

自分だって持ちうる人間の心なんだな…って、改めて思う。

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次から次へと…。

学部の卒論での教訓。必要かどうかわからなくても、時間がある時にとにかく先行研究をあさっておくこと。

ちょっとサボっていて、しばらくぶりの検索。

ゲッ!こんなに増えていた…。昨日発表用にまとめていた文献なんて、古い、古い。2006年のものもたっぷりお出まし。90年代のなんて、相手にされなそうじゃんか!

そういえば、指導教官に初めてテーマを伝えた時、念押しされた言葉が蘇る。「このテーマだと腐る(!?)ほど論文あるけど、覚悟できてる?」「は、はい??!…。」全くその言葉の意味の怖さを知らず返事したけど、この戦いはまだ始まったばかり。修論を出すころ、この戦いはどうなっているのか…。

でも、今はジャーナルもPDFですぐ手に入るので、その点は助かる。というわけで、今日も8本論文ゲット。な~んて、中身見てない論文が山のように積まれているのは、どうすればいいのだ!なんか、英文印刷しただけで満足しちゃうのだよねぇ…。

というわけで、とりあえず昨日のカレーの残り(これがまた美味)をかきこみつつ、眺めてみる。

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Yuming

情熱大陸はユーミンだった。今年は苗場の時期が早まり、あえなく仕事にぶつかってお預けだったけど、それまでは10年以上通い続けていた。

ワンパターンとか、金儲け主義だとか、彼女に関しての色々な評判も聞くけど、確かに時々は飽きちゃうこともあるんだけど、どうして足を運ぶのか。

やっぱり1つのことを何十年と続けていくことの凄さを、苗場で見せつけられるから。彼女だけでない、メンバーやスタッフの様子を傍からから見ていて、年月を重ねているはずなのに、嫌にならずに私たちファンに「苗場Show」を届け続けていること。

そして、ちょっとだけ人間臭さや弱さが漂う。二の腕のつき方だったり、裏声がうまく出なかったり。でも、次の年、必ず元に戻してくる。痛いほど努力の人。

不思議なことに苗場から帰ってきて1番に考えるのは、恋人や友人との日常の時間を楽しく過ごそうとかでなく、その時々の仕事を元気に頑張ろうということ。

情熱大陸の中で彼女が言っていた。

「変わらないことは変わり続けているからこそ出来ること」

季節や年月とともに時代は変わるけれど、その波と共に歩み続けるからこそ、変わらないでいられる。

やっぱり彼女は、「Yuming」。

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開会式

トリノオリンピックが開幕した。録画だったけど、開会式はテレビで見た。

私は入場行進が好き。今回は、80数カ国の人が参加しているらしいけど、小さい国から参加1人の国もあったりする。暑い国からの参加もある。それから、国内情勢で参加が危ぶまれていた国が出ていたりする。

本当に世界は広いんだな~ってことや、色々な事情を持つ国同士が、こうやって1つの場所に集まる意味は大きいな~ってことを、とても感じる。

高校で使うような世界地図を片手に、知らない国をあれこれ探す。「へぇ~。」とか「そうなんだ~。」とか、何気ない夕食の話も弾む。ちょっとしたオリンピック開会式の楽しみ。

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右に左に

来年度の事業計画についてスタッフと話し合い中。

今回は保健室内だけでなく、他の部署にも報告するように指示されていて、一般の教職員が理解してくださるように、計画書を作成する。

これって実はうちの保健室にとっては、すごい進歩なのだ。少し前までの保健室は、他部署にとって、何やってるかわかんないけど、まぁいいんじゃない、こっちに迷惑さえかけなければ、どうぞ自由にやっていいよ、って感じだったらしい。

こんな状況って、仕事的にはすごく楽なことだけど、お話しにならない。他の部署と同じ土俵に立って、保健室業務は学校にとってこんなに有益なのだということを説明する責任があると思う。もちろん、意見・批判を堂々と受け止めて。

そして、そのことは、何よりも当事者である学生さんたちに説明されるべき。だって、もし逆の立場だったらそうして欲しい。

だから、スタッフ間で右往左往しながら、悩み考える日々。でも、楽しい右左かも。

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入学試験

そろそろ受験シーズン。うちの学校も入学試験の体制に入る。

保健室は入試の救護として、待機・待機・待機…。時間が過ぎるのを待つ。

でも、救護ってひまそうだし、仕事としてはやりがいどうなの?って昔は思っていた。

救護という仕事は、何も起こらないことが1番。仮に何か起こっても、私たちがやれることは限られている。でも、「救護」部門があることで、その仕事に携わる教職員や受験生たちが安心して、それぞれの役割を全うできれば、それが1番の意義じゃないかな。

組織の中にいると、自分のやりたい仕事なんてほんの一握り。色んな仕事が回ってくる。最近はそんな仕事をこなすことが大半の積み重ねの中に、実は能動的な仕事のチャンスが隠れていて、だからこそ、与えられた1つ1つの小さな仕事をきちんとやること、それが自分のやりたいことをやる1番の近道と思えるようになった。

今年も受験生のみんなが、全力を出し切って頑張れるように!

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合格

面接実習でテープ記録、合格を頂いた。

修士での1つの目標が、面接技術を学び、形とすることだったので、とりあえずよかった。また来年度ももう1つステップアップの実習で合格できるよう、頑張らねば。

保健師の仕事は、とにかく基本が面接技術にあると私は思っている。「保健指導」とかって、法律にも掲げている割には、こうやって自分の面接を客観的に評価したり、改善点を指摘してもらたったりという機会が本当に少ないと思う。座学の講義は腐るほどあるのに…。

目に見える医療事故などは、わかりやすい分、責任を問われやすいが、「保健指導」で責任を問われることってあんまり聞いたことがない。でも、面接技法の良し悪しがその後の経過を左右するといっても過言ではない。世間で責任を問われないってことは、はっきり言って、いわゆる「保健指導」という技、そしてそれを行う保健師はいてもいなくてもどっちでもいいということを意味している。

たとえば、私の分野で言えば、大人の常識で保健指導しようったってもう絶対無理。いかにブロッキングをきちんと自覚し、それを傍らに置き、相手の気持ちや要求を引き出す技術というのは、一長一短に出来ることではない。

だいたい、「保健指導」って言葉自体がどうかと思う。それは私だけでなく、多くの医療者が感じていることだろう。でも、世の中というものは、言葉の持つ力が社会を形作っていくところがあって、多分私たちはその言葉がある限り、その枠から出ることが出来ないと思う。

そんなこんなで、一区切り。

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健康日本?!

「健康日本21」の記事が今朝の新聞1面にのっていた。

これが失敗続行中だということは、以前から大学院の先生方が口々に言っていて、うちのボス先生なんて、もう全く相手にしていない。

おかしいことに、大学のパンフにはそれ相応のことが書いてあって(苦笑)、院試の時、いちおう、目標値を一生懸命暗記していたんだけどなぁ。

私の居住地区も計画や目標値を作っているようだが、役所にいけばチラシはあるようだけど、そもそも役所なんてそんなに行かないし、それ以外のところでは見たことも聞いたこともないし、申し訳ないが、住民の中で「健康○○○21」をどのくらい知っているだろうーか…。

これを打ち出すことに、厚労省はどれだけのお金をかけたんだろう。その責任は一体どうなるの?民間だったら恐ろしいことだ。たぶん、ボーナスは出ないなぁ。というか、もう席はないかも。

もちろん、健康の評価は難しいだろうし、数字で図れないこともいっぱいある。でも、ストレスを感じた人の割合をはかって、一体何がわかるというのだろうか。ストレスという言葉を目標値に出すこと自体、微妙だと思うよ。

なんか、こういう結果を見るたびに、医療や保健政策の狭さをすごーく感じる。そして、何より1番に思うことは、その中で何も出来てない自分がすごく歯痒いということ。

その1歩を踏み出すために、今、やるべきことを着実にやるしかないと思う。

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再会♪

文学部の時の同級生で、今は児童教育関係の大学院に行っている友人と久しぶりの夕ごはん。

お互いお酒は飲めないのに、すごーく盛り上がり、お料理をつつくのもそこそこに、3時間以上ぶっ通しにしゃべりっぱなしだった。

そこで、びっくりしたこと。

雑感にも書いたが、私は大学院に入る前、指導教官から、大学院に来るということは、君はすっぱだかになると宣言された。そして、実際、この1年、授業や実習や研究指導で、プライドなんかひっぺがされ、何も武装しない、武装出来ないちっぽけな自分を突きつけられたと思っている。それが、すっぱだかといえば、すっぱだか…かな。

食事中、学ぶ分野も場所も違う彼女が、全く同じことを言ったのには驚いた。院に入ることは、「はだか」 になること。それまでの職業人であった自分はボロボロにされ、無になってしまった。そこから、研究の中身が見え始めたと。

私もやっと最近研究の中身を、少しだけではあるが真剣に考えられるようになった。しかし、そういう気持ちになれたのは、保健師であるとか、社会経験の年数だとか、そういう鎧にあまり縛られなくなったからだと思っていて、そうなれる時、ある瞬間、ぱっとひらめきがよぎる…、そんな感覚なのだ。

もちろん、保健師だからといって、それを鎧というものではなく、大空を自由に飛べる羽としてしなやかに身につけている人も大勢いる。

大学院での現実の授業数は限られているし、先生の指導だってそんなにふんだんに受けられるわけではない。でも、学ぶ本質がぶれなければ、得るものは無限大なのかもしれない。

彼女のとのおしゃべりは、色々な可能性を連想させられる、すごく刺激的な時間だった。

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